全ての存在の源・・無極
エネルギーの基場(きば)であり無極から全てが生まれた。
光の源であり、究極の愛や神・永遠を越えたものとイメージすることもある。
物理学では場として考えられている。無のエネルギーが存在のエネルギーを司るという考え。例えば、太陽の周りを地球が回る重力などのエネルギーを生み出している源が場であり無である。そこは、何にもとらわれていない全くの静であり無である。
光は魂としてイメージされる
太極は源から発せられるエネルギーによって存在する全てで一つのものである。
大太極とは全ての存在であり、森羅万象全ての実在である。
魂とは無条件の愛であり自然の法則である。
物理学ではエネルギー ビッグバーンなどと考えられる。
その光の力を気と呼ぶ。要はエネルギーすなわち光の熱量の動きすなわち伝達移動が気である。重力や太陽光であり、あらゆる自然の法則の中にあるえねるぎーの動きである。
目に見えない宇宙の物理的法則であり、あらゆるものに無条件に降り注ぐ力である。
人間に限定すると、全ての人間が持っている普遍的心理法則であり。すなわち魂。普遍的真理である。
心は存在を司る情報(陰陽)の全てである。
陰陽とは人間の心に限定すると不安と愛、万物では光によって出来た陰と日向である。
塊(かい)は視床下部より大脳ï”âèånに情報を持つ、本能・感情・無意識である。
陰陽の融合と分裂などの心の力を胆力と呼ぶ。
融合に必要な普遍的なものが、その普遍的なものとそうでないものを知るために、その普遍的でないものを存在させることによって、普遍性を発見させる手段が心である。違和感と感動である。
同じようにパッションは迫害と情熱である。
陰陽を知る。混沌を治める太極
世の中の全ての現象を陰であるか陽であるかを判断し、その現象を魂で受け止める。
①陰を知り陽を知り、陽を知り陰を知る。陰陽の創造主は魂であることを知る。陰陽を知ることで、魂に触れたときに、それが陽と同じ性質のものであることがわかる。
②陰陽を知らないものは、魂に触れたときにそれが陽と同じ性質でであることを気付かない。
③魂に触れたときの心地よさは、陰陽と照らし合わせて陰とは異質で、陽と同質であることを知る。
④そのものは、いつも陽で生きることを選ぶ。又、陰も知っているからその陰も魂の姿であることを受容できる。
⑤陰陽は、どちらも魂のなせる姿であり、陽で生き、たまには日陰にも生き、しかし、自分自身の本質は日向と日陰を作っている光であることを知っているから、その陰陽を自由に作ることができる。
⑥陰であることも陽であることも自由であると言うことは、それにとらわれることもなく、あらゆる現象を陰と陽を造り操作できる。自分次第でいくらでも自由に操れる。その上、全ての魂は光であることを知っているから、自分以外の物質的存在も光であることと、自分と一体のものであることを知る。そして、光としてみれば、相手の現象が日向であるか、日陰であるÇ©éËに取るようにわかり、日向で有れば融合し、日陰で有れば受容できる。
⑦それは陰陽が光の作り出したものであり、自分も他者も同じ光であり、陰陽も一体であることが理解できる。
⑧この様に陰陽は光のなせる存在であることが真実であり、全ての現象は光(無条件に降り注ぐエネルギー)で解決できることを知る。
精神
心を意識し、全ての存在を意識するものが精神である。理性や超自我・精神力は意識の力である。
生理的には前頭葉などが司る。
精神は小太極であり、源のエネルギーによって維持されている存在である。陰陽を知り、全ての源で有ることを思い出すための法則的相対物である。感覚的には陰にいるときは不安で、日向にいるときは幸福で楽しくて快感である。
身体
身体は小太極であり、源のエネルギーによって維持されている存在である。陰陽を知り、全ての源で有ることを思い出すための法則的相対物である。感覚的には陰にいるときは不安で、日向にいるときは幸福で楽しくて快感である。