行動は認識の薫習による感受と想念によって起こります。その行為や言動は認識され又新たな行動のための条件となります。
例えば,駅のプラットホームについたら、時間にぴったりと電車が入ってきた。
幸運?いいえ、それは自分の行いと生き方考え方によって必然的に起こっているんだと判断し,自らの行いと生き方考え方の素晴らしさを喜ぶ。
又逆に今電車が出たところであれば,しばらくこのプラットホームを楽しむことができた実際を喜ぶ。そして、もし今後は時間にぴったりの電車に乗りたいと思うのなら、自分の考え方、生き方等を反省し,再創造すると、その場でそのようになる。
次からそのようになるためにはその種を持ち続けることであるが、その種を持ち続けることは人間の本質的な欲求でないことを理解できれば、その種に拘らなくなると言う行動の考え方に立った実戦研究課題です。
恥をかかされたとき
嘘をつきたくないとき
人のことが嫌いで仕方がないとき
体がついてこないとき
長い電車が退屈なとき
A/人の顔を見てその人の人生を考えてみる
順番を抜かされたとき
子どもがぐれたとき
人のやることが遅いとき
人が失敗したとき
彼女に振られたとき
約束を破られたとき
予約が伝わっていなかったとき
周りで子どもがうるさいとき
A/それに一一イライラするよりも、騒いでいることを喜ぶ
周りで危ない事をしている時
人が信じられないとき
A/信じながら、納得がいかないことはとことん聞いて、些細な疑問がある内はその人を信じながら質問する。しかし、怒ったり、あやふやなことを言った場合は、その原因も質問する。信じないのではなく、もっと納得したい、納得できないということだけである。信じないのは受け容れないこと、納得したいのは受け容れてしまっていること、大きな違いがある。納得できない自分を探りながら、又、相手の深層を探っていく作業であり、普遍性を求める。
腰が痛いのにしなくてはいけないことがある。
寒いのに帰ってきて晩ご飯が出来ていないとき
わがままはいい?
後ろからの通り魔
地球は自分のために回っている
またされてうれしい
悪いことが起こったら。
A/自分が生まれたから
けががうれしい?
病気がうれしい?
悪口うれしい?
やり残したことがある
A/人生にはやり残すことがたっぷりもあるし、全くもない
ものを落としたとき
死のうと思ったとき
良いことが起こったとき
A/全部自分の行いのおかげと思うこと
借金が増えたとき
人が何かをしてくれたら恩を感じるとき、それに縛られると苦しいとき
寒い風に吹かれるとき
あつい太陽に照らされるとき
いわれのない暴力を受けたとき
批判されたとき
試験に落ちたとき
友人に裏切られたとき
不細工に生まれたと思ったとき
最低な人と言われたとき