潜在的ストレスは大きく二つに分けることができます。一つは自己抑制、もう一つは依存です。
●自己抑制
自己抑制は別名「イイ子度」ともいいます。筑波大学の宗像教授によって名付けられました。
イイコ度が高くなるに従って、周りの人や相手から嫌われないために気に入ってもらうため自分の気持ちや感情を過度に抑えてでも、相手や周囲に敏感に合わせてようとするのです。
葛藤やストレス、わだかまりが増すことになりますし、なにより、そんな自分自身を好きになれません。自分らしさを感じられずにいます。逆にいうと人によっては、我慢強い人、辛抱強い人と見られることもあります。「いい人ほど早死にする」は、このような傾向からの見解です。
心理的な苦しさを自覚していないけど、身体症状として、何故か人といると疲れてしまうことになります。
さらに、ひどくなってくると相手や環境次第では、絶えず抑うつ的になります。
気に入られるために、仲間はずれにならないために、自分を分かってもらいたくて、自分を抑えて生きていくとそうなります。
さらに、自分の気持ちや感情というものをほとんど出さないし、出せない状態にまでなってきます。
逆に、率直で正直な人と呼ばれればいいですが、どうせ全員に好かれることなんか出来ないんだからと思って、云いたい放題で、我儘で自分勝手な人と思われて生きている人は、以上の驚異から無縁かも知れません。
そして、このような人であっても、率直で正直な人と受け止めてくれる人を大切にすることが、免疫力を最大限に高めるための生き方だともいえます。
●依存
依存、誰もが互いに支え合い、助け合いながら生きています、それはそれで素晴らしいことです。しかし、自らの愛情の饑餓を埋めるために愛情を求めすぎたり、過剰な依存心を抱えていることが、実は大きな潜在的ストレスになっているのです。
一人で生きていけるという自信は、相手に過度な期待を持たず、なにかを乗り越えることで自己成長を遂げ、生き方や自分を見つめてきたからでしょう。
逆に、対人(愛情を含む)や物事への依存心が高すぎるということは、自分の主体性が生まれず、対人(愛情を含む)や物事に対しての、無力体験を味わうことになります。
人間の根本的な本能である、存在欲求にある愛という受け入れられる欲求、そして生存欲求である生きるという欲求が強くストレスを発生させます。それも潜在的にです。
愛情依存度が強いというのは甘えん坊度が高く、対人依存度が強いというのは、イイ子度が強いと同様に、慢性ストレス源を抱えているようなものです。
なぜなら、他人とは、けっして自分の思い通りにはならない存在で、自分が勝手に願い望むようには都合よくは愛してもくれないし、依存させてもくれないのです。
愛情や対人依存度が強くても、身近にそれを満たしてくれる相手がいると精神的にとりあえず安定していられますが、そうした人の存在に支えられることで、とても幸せにまた、強気に振る舞えたり、愛情依存や対人依存度が低いかのように見えることがあります。
しかし、そうした相手を失ったり、また、そうした相手が存在しない事を想像しただけでも、不安感があらわれやすくなりますし、実はいつもその不安というストレスにさらされているのです。
ひどくなってくると、イライラしたり、孤独感に襲われたり、抑うつ的になったり心理症状を出しやすくなります。
隠れ愛情饑餓や、隠れ依存心が存在するのに気づかないこともあります。例えば、愛情欲求や依存を諦めて押し隠し、自分の中に存在する愛情欲求や依存心を否定しながら生きてたりする場合です。
たとえば、家庭では良き夫や父親を演じながら満たされない愛情欲求を、愛人によって満たす、わがままを云うことで、相手の関心を得ようとする、クラブやホストクラブに通ったり、何かに極端に夢中になったり、孤高を気取ったり、高圧的にやり手を演じたりなど色々とあげられます。
このようなストレスは潜在的にいつも、免疫系を脅かし続けているのです。