『楽しく生きるための12箇条』はこれでいいのですか?

①何事にも感謝する(すべてのことは自分のために起こっていると信じ、慈愛を持つ。)

②何事にも反省する(すべてのことは自分の責任で起こっていると信じ、懺悔する。)

③自分自身を大切にする(自分自身の存在する過程を知り、自分自身のありがたさを知る。)

④何事にも全力で最善を尽くす(瞬間だけが生きていることを知る。一期一会・行雲流水)

⑤すべてのことの良いところを探す(すべてのものに心があり、無駄なものがないことを知る。)

⑥ありのままに話し、接する(すべての人は裸で平等であることを知る、同じ心を持っている。)

⑦非難と失敗をおそれない(非難は風、失敗は雨で自分自身を強く大きく育てる糧と思う。)

⑧愚痴をこぼさない(今、命があることのすばらしさと、生かされていることを知る。)

⑨精神と肉体を鍛える(精神と肉体は心の付属物であり、決して切り離せないことを知る。)

⑩期待しない(期待は良い結果を待つこと、希望は実現を願い望むこと)

⑪本質を知る(すべてのものの心は、自分の心でしか見えないということを知る。)

⑫気楽に生きる(元々はこの世のものでない自分を知り、何にもとらわれない。)

この前、初期の方便だということをお聞きしました。この先はどうなるのでしょうか?

“『楽しく生きるための12箇条』はこれでいいのですか?” への1件の返信

  1. 確かにこれは無為自然に至るまでの初期の方便です。
    バイオフィードバックと同じく、行為をしていれば、その根本にある原因が動き出すということです。
    自分の深くにある無為自然な自分に向かっていく課程で、このような方便を自らに課していくことで、行為の前にある、想念という思いのようなもの、すなわちその行為の理由を知り、そしてその理由が生まれるときの感受を理解して、全体的な認識を持ちます。
    その認識が自らの本心、すなわち本質に沿っているときは自ずから楽しく、心地の良いものであり、又何の邪気も浮かびません。迷いもなくすがすがしいものです。
    そのようなときに、この12箇条の全てを知ることになります。
    12箇条はいわば氷山の一角です。その氷山のしたにある全ての、その浮かぶ海までが見えてきます。まだその先はありますが、このように方便とは、真理に向かっていく為のきっかけみたいなものです。そしてそのきっかけも、無為自然という全ての一部で有ることが理解でき、又そのようになた時は12箇条は方便でなくなります。

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