真理が迷いと悟りのよりどころと考えるものである。
種子衣は人間の現実的な自己の存在を指しているのに対して、永遠の真理という理法を意味するところである。
種子は事。現実の存在であり有為法。迷悟は超越的な存在であり無為法である。
本来は双方は一つのものとして和合して、又同一でないものである。不離。非異ということである。
唯識ではこれをはっきりと二つに分けてから考える。
永遠普遍のものと現実で有限のものとの織りなしが、迷悟の拠り所となる迷悟衣である。
真如凝然
真如はじっとして動かないという意味である。
真理は現実に内在して現実の中にあり、現実と真理は全く次元は違うが、一刻も離れることはない。
もともと悟りとは真如を真にわかると言うことである。
迷いとは真如がわからないが、それを求めようとしているものである。ありのままの自分が見えないのである。
どちらも真如との関係であるので、迷悟衣という。
迷うから悟る、悟るから迷うとも言うべきである。
すなわち迷うも悟るももともと真如の上にあったからで他ならないという事を知るときが迷悟衣である。