自殺率第五位の日本・いやもっと深刻である

自殺率は、旧ソ連からの独立国が1位から4位、そして7位を占めている。日本は5位。

社会不安の高まる国々の自殺者が増えるのは理解できるが、その社会不安もなく平和な日本が5位であるということは、理由無き自殺大国と考えられる。しかし理由がないわけではない、第8位に実は韓国があるのである。

一つの仮説として、儒教を考えてみてはいかがだろうか?儒教はとても難しい教えである。陰と陽を完全に分離して考えてしまうと間違えてしまうが、そうすることにより、完全な管理機能と、統制機能を持つことができる。そこに実は観察するところがあるのである。

平和で裕福な日本、社会も安全であるという中で、最も危険な理由が潜んでいる。人が生存することを放棄せざるを得ない何かが潜んでいる。

例えば儒教でいう「礼」、これを真に解釈すると陰陽は分離しないが、完全に分離させて解釈すると、礼が正義であり、無礼が悪になる。礼にこだわらなければならなくなる。ところが「礼」は真の誠を人間として表現することであるから、誠であれば「礼」である。

ここに記せば長くなるが、もう少し自殺について考えてみたい。

1 リトアニアの旗 リトアニア[4] 58.5 8.8 31.5 2009
2 ロシアの旗 ロシア N/A N/A 23.5 2010
3 ベラルーシの旗 ベラルーシ [5] N/A N/A 25.3 2010
4 カザフスタンの旗 カザフスタン 46.2 9.0 26.9 2007
5 日本の旗 日本 35.9 14.4 24.9 2010
6 ガイアナの旗 ガイアナ 33.8 11.6 22.9 2005
7 ウクライナの旗 ウクライナ 40.9 7.0 22.6

又ウクライナにはチェルノブイリがあり、自殺率の上位の国はその周辺国であるのも、何か意味があると考えているものもいる。

自分の感情を表に出せない人

感情というのはとても大切なもので、脳の奥深くの心身の調整を行っているところにとても近い場所の脳で統制されています。

そのストレスは最も強力であり、身体症状にもでてきます。

様々な感情が芽生えているのに、それを表現できないでいると、その感情は行き場を失い、不眠や肩こり、身体のあちこちに不調が現れます。

精神的な辛さは全て身体が受け持ってしまっているので、辛いという自覚さえなくなってきます。恐いことです。

このまま進んでいくと、心身症ということになります。

感情を言葉に出す、表現する。それを人に伝えて、それを受け止めてもらえる。

それがカウンセラーであっても、愛する人であっても良いのです。

受容したときに、その感情に素直に反応するのは当然のことです。

子供の時に、感情を抑え込まれたり、又大切な人が反応しなかったりした場合は、自ら感情表現を押さえ込むようにプログラムされてしまっているのです。

カウンセラーが、自らの感情の問題を解決していないと、その問題に迎合してしまいより、クライアントの問題に拍車をかけます。

クライアントは、今のその問題を迎合されたことで、心地良い気分になりますが、より問題を深めるだけです。

感情を出すことを怖がるクライアントが、少しでも感情を出せるようになったら、それを素直に受容してあげること、それが大切です。

抑え込んだりせず、素直に反応するだけで良いのです。

すなわち、抑え込んだり、反応しないというのはカウンセラーの問題なのです。

カウンセラーがカウンセラーマスターのスーパーヴィジョンなどの受けるべきなのです。

そうでないと、クライアントは、その場の心地よさだけで、何回もカウンセリングに通いながら、いつの間にか問題は取り返しがつかなくなり、薬を処方されるだけのことです。

 

やくみつる氏 VS 史郎氏

古い話ですが、やくみつる氏 VS 史郎氏のテレビバトル(スーパーモーニング)です。

http://www.youtube.com/watch?v=IFO7ybH2_fc

あのテレビ討論を見て、やくみつる氏は、亀田史郎氏(以下、単に「史郎氏」といいます。)と世間の親たちに、子供たちの純粋で自然な成長について考えてほしいという情熱を、何よりも強く持っていると感じました。
テレビ討論は中途半端な状況で終わりましたが、やくみつる氏は、この熱が冷める前に、明確に史郎氏の化けの皮をはがすことをあきらめていないはずです。
最も大切なことは、是非を論じるのではなく、誰もが自分のスタイルや価値観について考えてみることです。その考えることから逃げたり、自分の欲求を満足する為、また保身の為に、人の指摘や非難に対し脅したり圧力を加え弾圧しようとすることに対しては、立ち向かわなくてはなりません。親が、子供たちの愛情を利用し保護欲求を脅かすことで、自己の欲求や都合を満足させたり、自己顕示欲にかられて強迫観念から逃れたりしているのです。このようなことは、多くの家庭の中でも現在繰り広げられているのです。
この史郎氏も、あのホリエモンの父も同じ構図です。このように、子供たちの心は偏り壊れ、抑圧された中で、自然で自由な成長を妨げられ大人になっていくのです。

今、多くの子供たちは、親に対する愛情と、親への保護欲求を利用され、親たちの欲求不満の解消や自己顕示欲の満足の為、また、強迫観念から逃れる為の道具として扱われています。そのような中で、社会問題とも言える子供たちの心の問題が深刻化しています。

このような状況の中、ホリエモンとその父親の関係も同じでしたが、今回の史郎氏のように、自分の息子を単に自分の自己顕示欲などの欲求不満を満足させる為のえさ、そして、強迫観念という不安から逃げる為の道具として利用しているスタイルが正当化され、そのような親たちに免罪符を与えようとしていることに、私たちは大きな危険性を感じていました。

私は、やくみつる氏と史郎氏のテレビ討論を見た時、息子たちの純粋な心を食い物にしている史郎氏が、息子たちを利用して当たり前のように、世間に対しこれが俺たちのスタイルだと言ってマスコミに登場し、多くの日本中の親たちに、このようなスタイルがいかにも正当性があり立派な行為であるとアピールしていることに対して、やくみつる氏は、世間がとんでもない錯覚を起こす危険性があることに危機感を覚え、持ち前の情熱から、とてつもない勇気を持って果敢に阻止しようと、その父の本性を暴こうとして、あのような行動をしたものだと思いました。

やくみつる氏の突飛な行動は、史郎氏の本性を発露させるには十分な試みだったのですが、惜しくも、ガッツ石松氏はそのやくみつる氏の心情を知ること無く、むしろ父に失礼であるということでその行為を否定したため、やくみつる氏も十分な反論ができず、結果的に史郎氏の歪んだ欲望や不安の全てを暴露するには中途半端な内容に終わってしまいました。

それどころか、逆にやく氏の方が史郎氏からとんでもない説教をされるはめになってしまったのです。

史郎氏は、自分の満たされなかった欲求を満たす為に、幼き息子たちの心を餌食にしてふくれあがった怪物と言っても良いでしょう。生まれた子供は両親を無条件に愛すのです。そして保護欲求という本能のもとに、親に従います。それを知ってか知らずか、史郎氏は、自己の欲求と保身の為に子供をコントロールし、自らの心を安定させるのです。子供が自分の意に添わない行為をした時は、子供の愛と生存本能を利用して、力の強い大人の恐怖を巧みに組み合わせて操作します。もちろん意図的ではないかもしれませんが、多くの親たちもそうであるのが今の世の中の現状です。誰かが史郎氏の本性を引き出し、彼自身に知らせる必要があります。

社会に影響力の強いマスコミでの露出では、システムが健康な状態であれば、俗にいう「ホメオスタシス」(恒常性維持機能)が働きます。

今、四権分立と言われている中の一つであるマスコミは、最も大切な意識調整機関であり、社会のホメオスタシスです。大衆の欲求は自然な自己調整機能です。

やく氏と史郎氏の討論に大衆は大いに注目していました。ここで、やく氏はマスコミの一員としてその役割を、意識ではなく情熱を持って担うものと信じています。