えらい科学者だから信じる?

 愛読している武田邦彦先生の記事で、最近「知の侮辱(12) 足し算のできない東大教授」を読みました。音声も付いているので、いつもその場合は音声を聞きます。
私は幼い頃から、母親の違和感に対する強烈な追求と、またそれにより周囲の人たちが浄化され、愛らしい姿に変化していく姿に感じ入っていた心が、今も自分の中に脈々と流れていることがわかります。

そういう意味で、私は武田先生の記事を愛読しています。その中で特にこの記事は的を得ていると感じたのでご紹介したいと思いました。是非上記リンクをお読み(お聞き)ください。

太極拳の套路の心意は、違和感を感じ取る陰の性質を持つ感性と、その違和感の源を深く探る陽の性質を持つ観性の和合によって成り立っている側面もあります。

このように、套路において,違和感を感じ、その源を探していく心意が研ぎ澄まされ、太極拳の套路に違和感がなくなり完成していきます。

違和案を感じる感性と、その源を探ろうとする自然な営みは、人間が健康に楽しく生きる上で当たり前のことです。

以上の武田先生の記事を見て、表層の肩書や権威に目くらましをされ、自らの感性を無視し、当然違和感を無視し、ただえらい科学者だから、NHKだからという風に信じてしまうように、今の世の中のシステムは巧妙に造り上げられていると言うことを知る方が良いでしょう。

その巧妙さにやられてしまわないためにも、無為自然というスタンスを失わないことです。

人間の感性と観性は自然に備わっているものです。それが有為によって動かなくなります。

科学者達の言葉や研究成果の違和感の源を探ると、すぐに答えが見えます。慣れてくると、普遍的なキーワードで情報を集めることができるようになるので、違和感の源がはっきりとしてきます。

情報の全体像を観るためには、例えば、医療的なことであれば、The New England Journal of Medicine (NEJM)などの論文を読むと良いでしょう。簡易日本語版もあります。

その他各分野には世界中のネット検索をすれば、確かな情報が多く掲載されています。日本の核汚染の問題もです。一日もあれば、誰の言っていることが本当かはだいたい自分なりで判断でき、またその学者の傾向も見えますから、その傾向のキーワードでくくれば、その学者の言っていることの真偽は簡単にわかります。

全体的に信用できる学者かそうでないかは見えてきます。

だからといって闇雲に信用したりしないのではなく、同じ人間であるのですから、信用できないというのは傾向だけであって、信用できる部分があるかも知れないというスタンスも必要です。

ただ何かのために言っていると言うことが見えたなら、それはその人のその傾向により、その人なりに情報が変化しているとみるべきでしょう。それで調べてみるということになります。

 このように、套路のような大河が流れるような中でのよどみを,自らの人生の一部として受け入れて、その源をも受け入れて、浄化して生きていくのも、時間という流れが人生を司るものである人間が,健康で楽しく生き抜くことの根幹であると私は思います。