幕末日本に来た宣教師が、人間は神が作った最高の被造物であると語ったところ、日本の民衆は『なぜ人間が他の生き物よりえらいのか?』と問うたと言うことです。
実践と理論
私の場合は理論よりも先に、幼い頃からの実経験での問題解決からの弁証法的内観による発見が先でした。
その時にはまだ知らない唯識論に説かれている四分が自分の中で動いていました。気づきませんが。
あらゆる事が全て問題解決と再創造に転換したのは、30才の頃の母の死が決定的だったでしょう。
その後、弁証された理解をもっての実生活による実践が、あまりにも今までと違ったとても軽いというか、スムーズで不安のない、喜びあふれる世界に変化したため、それを多くの人に伝えたくなり、客観的な弁証として精力的に多くの思想家や政治家、精神科医や心理学者、宗教家、学者などと会って、持ち前の率直さをもって討論しました。半ば仕事のようにです。
その実証を本などを読み、全てに通じる普遍性を探り、自分が発見した理解を検証していきました。本の内容はすんなり入ってくると言うよりも、「そのとおり」という感覚が主でした。すでに理解していることを言葉として表現することに役立ちました。
唯識論や般若心経、形而上学、哲学、心理学、大脳生理学、太極拳論その他もろもろと私の経験による発見と普遍性の通じるところでした。
今は、理論は全て人間の存在のという本体からの作用と考えています。
多くの人の人間の存在の中にある本質を見つけ出すことを、普遍的な楽しみとして、見つけ出した人と共有し実社会に役立てていくことを出来るはずだと思っています。
ゆっくりと自殺している
国内の去年1年で、喫煙で因果関係がはっきりしていて、肺がんで死亡した人は13,000人。
受動喫煙で、因果関係がはっきりしている人で、肺がん又は虚血性心疾患で死亡した人は6,900人。
交通事故者は5000人を切りました。
男性の喫煙者は10人に4人。女性は10人に1人です。
コンスタンチンというキアヌリーブス主演の映画で、たばこを吸うことをゆっくりと自殺していると表現していました。
最後にキアヌリーブスは自殺という罪をお犯していると言うことで、地獄に連れて行かれることになるのですが、自己犠牲によりこの世に生き返ります。
その後、キアヌリーブスはたばこの代わりにガムをかんでいたというお話です。
人間は善悪を知る木の実を取って食べることで堕落した。
聖書からの抜粋です。
全くそのとおりです。この聖書の文言を否定するキリスト教系の新興宗教もあるようですが、この宗教も陥っているように、人間がこの善悪をはかるところから堕落したというのであれば間違い有りません。
しかし、堕落とはなんでしょうか?
何から堕落したのでしょうか?そうです。善悪などを知ることも、又はかることもない、無為自然な世界から堕落したのです。
善悪が生まれたときに、この世に神とサタンが生まれたと言っても過言ではありません。
神が生まれたと同時にサタンが生まれたのでしょう。
もともと、真理の世界には、そんなものはいません。聖書も実はそう言っているのです。