芸能人やスポーツ選手は「早死に」の傾向、豪研究者が発表ロイター – エキサイトニュース

このような研究は、古代のインドや中国でも盛んに行われ、経験実証と統計学により以下と同じような結果を得ている。
これだけに終わらず、その理由を長い年月を掛けて現在まで、多くの先人達が探り、実験を繰り返して、最大公約数の結論を導き出している。
それらは、現在の脳科学や、心理学、生理学などあらゆる検証結果に符合しているに過ぎない。
それは分かった。それでは、なぜか?それが重要である。しかし、それらは全てもう分かっている。それが歴史の重みである。

芸能人やスポーツ選手は「早死に」の傾向、豪研究者が発表 [ロンドン 18日 ロイター] 芸能界やスポーツ界で活躍した人は早死にする傾向にある──。オーストラリアの研究者が18日、医学誌「国際医学ジャーナル」でこんな研究結果を発表した。シドニーのセント・ビンセント病院のがんセンター長を務めるリチャード・エプスタイン氏らは、2009─11年の間に米紙ニューヨーク・タイムズに掲載された約1000件の訃報を調べ、職業と寿命などの関係を調べた。それによると、役者とスポーツ選手の平均死亡年齢は77.2歳で、クリエーティブ職の78.5歳、専門・学術職の81.7歳、軍事・政治関連職の83歳に比べて短いことが分かったという。研究者らはこの結果から、役者やスポーツ選手らが自分の目標を達成するため、または成功した結果、他の職業よりも多くのリスクを取っている可能性があると分析した。同研究は「成果主義の職業における名声や功績は、より短い余命という代償によって得られるのかもしれない」としている。

引用元: 芸能人やスポーツ選手は「早死に」の傾向、豪研究者が発表ロイター – エキサイトニュース.

先進国の子ども幸福度、オランダがトップ=ユニセフ(ロイター) – エキサイトニュース

オランダでは、子どもの物質的豊かさが最も高かった」物質的な豊かさは客観的に見ると日本やアメリカの方が高い。ただ、子どもによる主観的評価が高い。
価値基準のしきい値が高いのである。なぜ、高いか、それは色々な要因がある。
ある一定の事柄に、満足感や豊かさを感じるかということだが、オランダの子どもが100と答えれば、その他の国はそれ以下であるということである。同じものをみても所有しても、満足感や、幸福感が違う。
ただ花を見ていても、喜べるのと、それに喜びを感じるのも違ってくる。これが主観的評価である。
オランダに関しては、以前に移住を真剣に考えたので、オランダの人文をテーマにして深く研究した。
ここに、ウィキペディアからオランダの文化の文化を抜粋する。
「大麻の所持・使用(「コーヒーショップ」と呼ばれる限られた店でのみ購入が認められている)、積極的安楽死がいくつかの欧州諸国とともに合法化されている。もっとも、大麻も合法というよりは、許容されているといった方が正確であり、現バルケネンデ政権は一部見直しも検討しているとされる。また安楽死についても依然として見直しの議論が続いている。
1991年には刑法が改正され、16歳以上でポルノ出演、性行為が適法とされ、互いの同意があれば12歳以上でも性行為は適法となった[要出典]。国の許可を得れば管理売春も合法である(「飾り窓」と呼ばれる限られた地区でのみ合法的な売春が認められている)[要出典]。売春を国の管理の下で合法化したことで、衛生状態の向上が図られ、性感染症感染率が低下し、また税収増加、売春に従事する女性達の保護の充実などが実現し、国内では評価する声が高い[要出典]。
このようなことから、世界有数の性の解放区として知られているものの、性犯罪をすれば容赦なく逮捕されることには他国となんら変わりがない。またこれらの行為に関わることはそれなりにリスクも大きいので、自由な一方で自己責任で行動しなくてはならない国だとも言える。
性役割は、1970年代は「男は仕事、女は家庭」だったが、その後変化し女性も労働市場に参加するようになっている[17]。なおオランダでは異性同士の場合と同じように同性同士の結婚が認められている。」
オランダの子ども達の幸福度の原因は、その子ども達の重要な環境である両親の心に掛かっていることは間違いない。その親たちは、もちろんほとんどが、大麻の世界を経験している。大麻の世界を見た世界中の人間達の心は、どのように変化したか。重要な研究課題でもあり、絶えず研究対象である。そこに絶対的幸福感のヒントの一つがある。大麻は日本では違法で有る。アルコールは合法である。日本の深部に流れる、誰かの意図がこの世界を作っている。私たちはそこに生きている。自殺大国。経済大国。である。

[ロンドン 10日 ロイター] 国連児童基金(ユニセフ)が発表した先進国の子どもの幸福度ランキングで、29カ国中のトップはオランダとなった。最下位はルーマニアだった。

ランキングでは、子どもの物質的豊かさ、健康と安全、教育、日常生活上のリスク、住居と環境を評価。データの大半は2010年時点のものだという。

オランダと上位5位を占めたのは、ノルウェー、アイスランド、フィンランド、スウェーデンの北欧4カ国。英国は16位、米国は26位だった。同ランキングは欧米先進国を対象としており、日本は含まれていない。

オランダでは、子どもの物質的豊かさが最も高かったほか、家庭の豊かさが低いと回答した子どもの割合も低かった。また、子どもによる主観的評価も高く、全体の95%が自身の幸福度は高いと回答した。

引用元: 先進国の子ども幸福度、オランダがトップ=ユニセフ(ロイター) – エキサイトニュース.

中国各地に“癌の村”…「日本の核汚染よりひどい」=重金属問題 2011/10/14(金) 10:07:20 [サーチナ]

「日本の核汚染より、よほどひどい」ということは、日本の核汚染は酷いと言うこと。
この世界の常識は、日本の社会では経済活性の盛り上がりで、陰薄くなってきたようだ。要注意。

中国各地に“癌の村”…「日本の核汚染よりひどい」=重金属問題

Y! 【社会ニュース】 2011/10/14(金) 10:07

中国各地で、癌(がん)などの多発地域が存在する。発症・死亡率が大幅に上昇し、多くは45歳前後で死亡する。主な原因は重金属などによる土壌汚染とみられる。「日本の核汚染より、よほどひどい」と話す住民もいる。中国新聞社が報じた。

引用元: 中国各地に“癌の村”…「日本の核汚染よりひどい」=重金属問題 2011/10/14(金) 10:07:20 [サーチナ].

「富士山頂で発がん性物質、越境汚染か」 News i – TBSの動画ニュースサイト

考えすぎ?とんでもない。考えすぎではありません。
今は、世界中の情報が入手できる時代です。また多くの情報が氾濫する時代。
真実を見る、選ぶ目を養えば、必ず見えてくるのです。
まず、考え過ぎなどと逃げないで、気を向けてみる。
楽しく、健康に生きると決めてみる。
楽しく健康に生きたいと。「たい」などのレベルでは、そこに到達しません。
いつまでも「たい」と、草むらに逃げ込んでいることになります。
社会のプロパガンダ情報に惑わされず、垣間見る真実の発露をその源まで追いかけてみる。
これがこのリサーチセンターの活動でもあります。
有り余る時間を、人々が健康に真に幸福に生き抜くための研究に費やしています。
結局は、ただ楽しく健康に生きると自分が決めただけですが。自分のためです。
日本は今まで同様、陰陽五行思想にいう、相乗相侮の状態に陥っています。乗侮の病です。
明治時代から社会は何に乗侮しているのか?坂本龍馬から始まり、ひたすら経済の相乗と、自然への相侮に病んでいます。
そこから見つめ直さないと、何も真実は見えません。

富士山頂で発がん性物質、越境汚染か

中国政府はこのほど、がん患者が急激に増えている「がんの村」が存在することを認めました。中国から日本に飛んでくるPM2.5。その中に含まれる発がん性物質が、空気が非常にきれいなはずの富士山の山頂でも観測されていたことがわかりました。

引用元: 「富士山頂で発がん性物質、越境汚染か」 News i – TBSの動画ニュースサイト.

免罪符

免罪符
16世紀、カトリック教会が発行した罪の償いを軽減する証明書を贖宥状(しょくゆうじょう)といい、免償符、贖宥符とも、日本においては「罪のゆるしを与える」などの意味でも使われ、責めや罪を免れるものや理由、行為そのものを指すこともあります。

さて、人間は本来罪を負っていると考えてしまうと、それを免罪されないと幸せになれない、成功しないなどと言われれば、その免罪を何かに求める事になるのは仕方が無いことです。

それが多くは宗教や、ボランティアなど、しっかりと免罪を約束されそうなものにその免罪を求めるのでしょう。

例えば、武当派太極拳の根本的な思想では、人間の本質は善でも無く悪でも無く、ただ単に無為で自然であると考えます。
道教やタオ(どちらも宗教であり、組織概念、偶像崇拝があるかないかだけの違いです。)の根本思想である、太極思想には無極という完全に無であることから、有が生まれ、無も現象下に置かれたと考えています。
完全なる無とは、有も無もない状態です。善も悪も無い世界。キリスト教ではエデンの園であり、そこにある生命の樹です。太極思想では道です。アダムとイブは陰と陽であり、知恵の樹の実を食べたところから、善悪の存在を知り、堕落していきます。
太極思想では、その善悪はいつも混沌と融合しており、分けることもできるが、離れることは無いという考えです。

このように、もともと、善悪は一体のものであるのだから、免罪することも無いと言うことであり、太極思想には免罪符なる概念がありません。人間の後天的性質が罪だと考えるなら、それは人間である限り、いつも本質的な善と一体であるということから、離れることはありません。

そこで、わたし自身の生まれた環境が、自らの愛情の飢餓を、権力や名誉、お金や自己顕示で代償していき、その代償のためには人の命や存在の尊厳をいとも簡単に奪っていく組織で生計を立て、人よりも贅沢に暮らし、快楽におぼれていた人物を長とする一族にありました。私の祖父ですが、祖父のことは今でも好きですが、祖父はいつも、神や仏に多くの寄付や、欠かさない催事に免罪を求めていました。神道や仏教に対する見識はとても広く、その知識は豊富でした。しかし、それらは全て自らの免罪符であり、それをしていれば、自らが行う卑劣な行為は免罪され、正当化される。そのようになるのです。

私は、祖父の関係もあり、祖父のような絶大な力を得た人に、多く巡り会いました。
必ずといって良いほど、また卑劣で、容赦の無い人ほど、その免罪符を強くもっています。

中国の人は道教やタオ。日本の人は神道。仏教。欧米の人はキリスト教。イスラムの人はイスラム教。

これらが免罪符として、その人に使われるとき、その思想は美しい衣となり、自らの醜い姿を隠すだけに過ぎません。
またその姿に惑わされ、その全ての行為も魅力あふれるもにになるかも知れません。

人は自らの内にいい知れない不安や、罪悪感を感じる時、またその感覚が自らの行いにあると自覚したとき、それを消し去ろうと、中和しようと何かを求めます。多くは宗教です。その宗教にどっぷりとつかり、自らの中和を求めます。

そのような人は、卑劣で、むごい行為をして絶大な力を得た人物が、免罪符を得ようとすれば、その免罪符を得ようとする行為の方を主として、その絶大な力を得たものと錯覚し、その行為を見ないようにしたり、また正当化、極端になると尊敬や崇拝をするのです。

中国や日本においても、裏社会に生きる多くの人間が、絶大な力を持った場合、その思想には必ずといって神道やタオが存在します。

政治家が、世界平和を免罪符にして、戦争を正当化するようなものです。

人は免罪符では救われません。キリストが十字架を背負ったように、人は人である限り、善と悪を併せ持ち、罪を侵し続け、また、無始無終に自然なのです。

いつも免罪符を追い求め、生きていくことが、もっとも不自然な辛い人生であることは、きっと本人にもわかっているはずです。
免罪符としてタオや、神道、仏教にすがり、いくらその思想を身につけても、アルコール中毒者が喉の渇きにアルコールを飲み続けても、いつまでたっても喉の渇きが癒えないのと同じです。

映画コンスタンティンのへネシー神父でも描かれています)

思想とは人の思想であるのです。宗教も全てそうです。ですから、全ての人間がその思想の種を持っているのです。これは当たり前のことです。何を言いたいかというと、自らの本質に宗教にあるような思想の原点は全てどころかそれ以上あります。
だから、免罪符など元々存在しないのです。それを早く気づき、本来の自分を主にして、それらの思想をただ観る、そして自在に扱うような境地を得れば、何もかもが思い通りに、また楽しく、心に曇りも無い清らかなこの瞬間を生き抜くことができます。

免罪符。そのようなものが真実に存在するのか。ぜひみなさんも考えてみてください。

易疲労

最近、易疲労(いひろう)を訴える人が増えてきています。

易疲労とはちょっとしたことで、すぐに疲れてしまう症状です。

また全身倦怠感、易疲労感を中心とした症候群である「慢性放射能症」、「慢性原子爆弾症」(都築正男、「慢性原子爆弾症について」昭和29年2月『日本医事新報』第1556号所収)内部被曝や低線量被曝が原因の易疲労もあるようです。

さて、疲れですが、人間の疲れ方には交感神経型と副交感神経型があるのはご存じでしょうか?
結構、疲れとは、交感神経優位の疲れのほうが一般的に疲れと言われているようです。

例えば、無理をして忙しい毎日を送って、ストレスと闘い、休みも充分取らずに疲れている人です。
いつも体が疲れているので、もう疲れさえ自覚しないようになっているときもあります。
だいたいは、血圧や血糖値が高く、イライラとピリピリがいつもの状態で、なにかにつけて不安感が強く、夜は興奮して眠れません。

これが、人間が活動するときに活性化する交換神経優位の疲れです。
ところがもう一つ、休息する時に働く副交感神経優位の疲れ、これが案外知られていない疲れ方です。

体は自立神経の活動の体調を作る交感神経と休息の体調を作る副交感神経というたった2種類の神経によって制御され、全てを決めているのです。
太極思想における陰と陽が世の中の現象を制御しているのと同じです。
体も自然も複雑な仕組みがあるようには見えていますが、陰陽理論と同じで、体は、興奮するか休息するかの、単純なメカニズムの中で営まれています。

もう一つの副交感神経優位の疲れですが、リラックスし過ぎて、ゆったりと緊張感なく、過ごしている生活の場合です。この場合は、副交感神経優位の疲れを感じる方が多く、最近増えてきています。

副交感神経優位の疲れは、小さな事でも気になって落ち込みやすく、少し動くだけでも疲れる(易疲労)、やる気が起こらないことが多く、夜はすぐに眠れますが、朝起きるのがとても億劫になります。
このような場合は、アレルギー疾患などを助長することもあります。
日中には、自らタイムスケジュールを作ってきびきびとした生活にしたり、食事の量を減らしたりして、活動的にしていると改善されるのですが、何せ、ちょっとしたことで疲れるので、なかなかきびきびもできませんから辛いところです。

交感神経優位の人の疲れは、休めば改善しますが、副交感神経優位の人の疲れは、ただ休むだけだと悪化します。このあたりが、副交感神経優位の人の疲れの改善の難しいところです。

交感神経優位の人は、無理すると交感神経が緊張して、血管収縮が起こります。そこで、血流障害によって低体温となります。この場合はリラックスしてお風呂に入って体を温めて、血管を広げるのが最も効果的ですが、また翌日疲れるのなら余り意味がありません。

副交感神経優位の人は、通常は体が温かいのですが、リラックスするだけで運動量が無いと、代謝熱が少なくなり、筋肉を退化させると、筋肉からの発熱が少なくなって、低体温化を招きます。慢性です。
この場合は、太極拳などもしっかりと武道要素のある套路をして、インナーマッスルを育て代謝を高めることが大事です。
太極拳は副交感神経を発勁に使う武道ですが、全体では交感神経もしっかりと使います。ただ、普通の武道とは運動に使う神経が逆と言うだけです。そういうところから、バランスの良い神経活動を促進する太極拳がお勧めです。太極拳の養生法(内丹術)には全て以上の理論が遙か昔から完成されています。

どちらの疲れにも、太極拳の套路は有効です。体内の循環が促進され、体温があがります。
但し、しっかりとインナーマッスルを意識した、武道の動きを内包している動きで無いと、ただリラックスするだけで、より疲れが増すこともあります。
交感神経優位の人にはリラックスするだけで、まず、疲れの改善の第一歩になりますが、副交感神経優位の疲れが最近増えてきているようですから、このような場合は、ただ、休むのでは無く、内部の活性化を目指した生活や運動が必要なのです。

ただ、易疲労は副交感神経優位の場合の人が多いようです。
最近ちょっとしたことで、すぐに疲れるという場合は、生活の状態を一度見直されることをお勧めします。

セルフエスティームを効果的に高める

人生を安全に生き抜くために必要とされている理論があります。

アメリカなどでは護身術の基本的最重要課題としてカリキュラムが組まれていて、常識になっています。

セルフエスティーム(自尊心)とバウンダリー(識別)能力を高めるということです。

これについて詳しくは、こちらで説明があります。

そこで、武道修行以外でも、これらを高める効果的な手段があるのかというご質問に対してお答えします。真の武道もとても近道ですが、それなりの、時間がかかるのも確かです。

そこで、手っ取り早い方法は、1ヶ月くらい人と会うことの無い、厳しいジャングルの中を何も持たずさまようことです。

セルフエスティームやバウンダリーは極限まで高まります。

ビジョンクエストですね。死ぬか生きるかの境地です。

しかしそれは現実離れしているので、まず、セルフエスティームをゆっくりと高めていくほうがいいとおもいます。

それは絶えず、その道を歩んでいかないとまた振り出しに戻ります。

山の中を1ヶ月死ぬかも知れない旅を続けるか、日常で自分の心の中に同じ状況を作って旅を続けるかですが、後者はいかに自らの心的境地の中を歩き続けることができるかがまず課題です。

瞑想などはまさにそうですが、短い時間しかできません。瞑想をして日常を過ごしながら、恐ろしい現実と向き合ってこそ意味があるので、瞑想はその境地を体験するだけになってしまいます。

大切なのは、日常でずっとその境地にいてこそ、セルフエスティームは高まります。日常で、何かと出くわしてその境地から出ると言うことは、ビジョンクエストで狼と出会って恐くなって、山里の街に下りてくるのと同じです。

ですからまた最初からの振り出しです。

その前にその境地はどこなのかと言うことですから、その境地を得るには武道だけでは無く、自分の内を知り尽くしていかないといけません。経験と理論の整合が最も有効です。

経験は武道や日常。理論は唯識論など、自らの内を知ることができる智慧です。

ですから、ビジョンクエストでも、それなりの知恵が備わった青年にしか許されません。

智慧は長老の見識と触れて備わります。現実では、その見識は唯識論などの心理探求ができる合理的な見識に触れることです。

合理的な見識が大切なのです。

ですから、有効にと言うことであれば、まず唯識論または心理学の総合学問(これは大学から行き直しくらい、「総合的」な心理学を学ばないと、それでも十分ではないほどだと思います。ですから心理学では難しい。)を身につけてそれを完全に理解することです。

そして、自分の日常とその理論が整合する境地にいつもいて、この社会を生き抜いていくことができれば1ヶ月ほどで相当に高まります。唯識論の智慧を身につけただけでは、現実と智慧の差異が生まれ逆に心や精神を病むこともあるので、それらを身につけたなら、現実の自分の人生に完全に生かすことが最も大切です。

これらは、私ももう25年もライフワークとして取り組んでいる活動です。

まず、真理すなわち絶対性(何があっても相対するものが無い)に対する智慧を得てから、ビジョンクエストをするのが最も手っ取り早い効果的です。

そういう意味ではビジョンクエストは最高の方法まで到達したとも言えます。

それと同じように、智慧を得て、日常で境地から出ることが無く、多くの経験をする。

山の中よりも、実生活の中で恐ろしい魑魅魍魎と出くわしても、山里へ逃げない世界を生き抜く。完全に出ることが無いのなら、1ヶ月で良いと思います。お寺にこもるなどはだめです。何の生死問題もありません。しかし、仏門に入るのならそれも良いと思います。しかし、それ以外の日常生活を生きていくつもりなら、意味がありません。

まず、それで、この世界を完全に生き抜くことです。これができれば、ビジョンクエストと何ら変わらない効果で、セルフエスティーム(自尊心)とバウンダリー(識別)能力は一挙に高まります。しかし、相当厳しい世界です。多くのものを失うかも知れません。

難しいのは目の前にいつでも逃げ場がある現実社会では、その逃げ場があるという認識から始めないといけません。逃げ場を認識していないと、ついそこに行っては、逃げていないと思うからです。ここからの認識が必要です。

逃げるとは、山から下りる?それなら一からやり直しです。みんないくら瞑想をやっても、同じことです。

それがわかり、またそれをちゃんと傍から指導できる人がいれば、簡単に効果的に高まります。

もしくは、一度本当に死の恐怖の中で死んでみることです。これだけは、「ごつん」と一挙にセルフエスティームとバウンダリーが高まるはずです。これが一番効果的です。生き返る保証はほぼありませんが。

時事ドットコム:性的被害賠償、1500億円超に=カトリック聖職者の虐待問題

宗教って言うのは何なんだろう。社会はそれを真剣に考えることが無くなったと言える。
その本質に目を向けていくと、宗教など本当はあり得ないものであるかも知れない。
そんなことを感じさせる記事でもある。

【ジュネーブ時事】バチカンからの報道によると、カトリック教会の神父らによる相次ぐ性的虐待問題で、教会側が被害者らに支払った賠償額はこれまでに総額約20億ドル(約1540億円)に上るとみられることが8日、専門家の調査で明らかになった。公にならず和解に至ったケースも多く、正確な額は不明という。
調査したのは米カトリック教会の関係者2人。各国のカトリック聖職者らが参加し、バチカンで6日から9日まで開かれている会合で報告、聖職者らへの信頼が失われた代償は金銭的損失よりも大きいと強調した。(2012/02/09-06:45)
引用元: 時事ドットコム:性的被害賠償、1500億円超に=カトリック聖職者の虐待問題.

花粉症

気持ちの良い気候なのに、やっかいなものが花粉症。現在日本では、ここ10年間での増加傾向は著しく、今後も増え続けると予想されています。なぜここまで、花粉症は増えているのでしょうか?

初めの花粉症はイギリス

近年、爆発的に増加し、現代病の代表とも言われる花粉症。その花粉症は、日本では春先に飛散するスギ・ヒノキを代表に、年間を通して様々な植物に対するアレルギー反応が話題となっています。そんな花粉症問題、他の国々でも発症しているのでしょうか?実は、調べてみると、世界三大花粉症といわれる代表的な花粉症があるようです。

まず1つめは、ヨーロッパの『イネ科花粉症』です。これは世界で最初に発見された花粉症で、今から約180年前のイギリスで、農夫が干し草を扱っているときに突然、くしゃみ、鼻水、眼の充血、ときには喘息のような症状を起こす人が出てきました。しかし当時は、花粉のアレルギーという考えはなく「枯れた草に触ったため」と思われ「枯草熱」と名づけられていました。そして後の1873年、本当の原因がイネ科の牧草の花粉であると立証されたのです。イギリスでは、このイネ科花粉症は、現在も人々を悩ませています。その主は、ヨーロッパ各地・家畜の肥料として欠かせないイネ科の牧草 カモガヤやオオアワガエリなどイネ科の草が原因となっています。日本でも、カモガヤの花粉症は4〜6月頃 に北海道と東北地方で見られます。これはお米をとるために作っているイネではなく、牧草や芝草 として日本へ導入された外来種が原因となっています。外来種は在来種に比べ、花粉飛散が多く、空き地や道ばたでも繁殖して広がっていきました。

2つめは、主に北アメリカの『ブタクサ花粉症』です。これは1900年頃から注目され始め、 アメリカやカナダでは、夏から秋のブタクサ花粉症で大勢の人が悩まされています。キク科の雑草で、河原や牧草地、道端などに繁殖します。日本でも、ブタクサ花粉症は9〜10月頃 見られます。ブタクサは「マッカーサーの置き土産」と呼ばれ、帰化植物として日本に入ってきた当初から多くの人が悩まされました。しかし土地開発による 空き地の激減 などで、花粉飛散数の増加もほとんどなくなり、発症率も低くなっているようです。

3つめは、日本の『 スギ花粉症』です。主に日本固有の植物・スギの花粉を原因とする、つまり 日本にしかない スギ花粉症も、やっぱり世界三大花粉症に入っていました。

1〜4月にかけて 猛威をふるい、日本における花粉症の 約8 割 の原因が「スギ」といわれています。

スギ・ヒノキ花粉が多い理由

日本特有の杉の花粉が多く飛散している原因は、戦後の高度成長期と大きな関わりがあったようです。大平洋戦争で荒れた日本の山の大部分は、林野庁奨励のもとにスギの植林が行われ、戦後の復興に大きく貢献をしました。さらに1960年以降、木材としての人気が高まったヒノキの植林も進みました。このように木材として利用するために大量に植林されたスギやヒノキですが、段々と安い輸入木材におされ、日本のスギ・ヒノキの人気が落ちてしまったことにより、林業に携わる貴重な人材が次々と減少し、スギ林の管理が行われずに枝が伸び放題、放置状態となっていきました。そんなスギの木は樹齢30〜40年ほどで成熟するので、戦後に植林されたほとんどがここ数十年で成熟期をむかえて大量の花粉を飛ばしているというわけです。同じくヒノキ花粉も、数倍に増えています。今、林野庁では樹齢30〜40年のものから優先的に伐採していますが、思うように進んでいないのが現状だそうです。

また、ただでさえ管理されずに茂っているスギやヒノキが大量にある上に、都会では当たり前となっている舗装道路も、花粉が大量に飛び交う一因となっています。もし花粉が湿ってデコボコした土に落ちれば、再び舞い上がりにくいですが、アスファルトでは、一度落下しても 風や上昇気流でまた舞い上がってしまいます 。すると空気中に飛んでいる時間が長くなり、その分人に吸われる機会も多くなるのは当然のことといえるでしょう。

都会の方が花粉症になりやすい!?

スギの花粉は、都会よりも山の中のほうが大量に飛んでいるはずなのに、ビルの立ち並ぶ街中での方が発症率が高いのだそうです。これは、車の排気ガスなどの空気中の化学物質と花粉がなんらかの反応を起こし、そのことが花粉症の発症に影響しているのではないかといわれています。また、人間の鼻の粘膜や肺が、車の排気ガス等の化学物質で痛めつけられており、そこに花粉のアレルゲンが入り込むと、花粉症を起こすのに関わっているIgE抗体が体内で効率よくできてしまうことが確認されています。大気汚染は、花粉症発症に大変大きな影響を及ぼしているのです。

また、アレルギー症状は自律神経と深くかかわっているため、ストレスや疲労で自律神経の調節が乱れ体の免疫力が低下すると、花粉症の症状も出やすくなります。この免疫低下には、食生活も大きく関わってきます。戦後、日本人の食生活がどんどん欧米化し、動物性脂肪やたんぱく質中心の食生活へと変化してきました。肉などの たんぱく質 の摂取が多くなると、異物への反応が過敏になる=アレルギー体質になりやすいと考えられています。また、インスタントやスナック類、ファーストフード、保存食などが増え、 食品添加物 を小さい頃から摂り続けていることも、こうした体質変化の原因としてあげられています。

花粉症改善には、鼻呼吸を!

花粉症の発症の一因が大気汚染であることは前回のマガジンのとおりですが、実は、口呼吸も大変大きな原因となっていることが最近の研究で分かってきました。

スギ花粉のタンパク質、大気汚染、口呼吸の条件が複合することで、花粉症は起きるというわけです。

本来、哺乳類の呼吸器官は鼻で、口は食べ物の入り口です。しかし、しゃべることによって、鼻が繋がっている口でも呼吸することができるようになりました。

この口呼吸が無意識のうちに常習化しているのが、一番の問題なのです。

鼻から吸い込まれた空気は、鼻腔を通る間に空気中に漂う細菌やウイルスなどの有害物質が除去され適度に加湿加温されて、酸素が吸収されやすいかたちとなり、肺に送られます。

しかし、口で空気を吸った場合、冷えて乾燥した空気が、いきなり扁桃組織の温度を下げます。

すると、喉に存在する酸素を好む好気性菌が、扁桃の細胞から白血球に取り込まれて体じゅうにばらまかれ、さまざまな器官や組織の細胞を汚染して細胞内感染症を発症します。

その結果、感染した細胞内のミトコンドリアが働かなくなります。

そこにスギ花粉と大気汚染物質の複合体が抗原となってできる抗体との反応、すなわちアレルギー反応が、細胞内で炎症症状として起こる、これが花粉症なのです。実は、このミトコンドリアこそ、花粉症のような急性免疫病において最も重きを置くべき存在なのです。

人間の身体は、約60兆個の細胞から構成されています。

皮膚は数時間、骨なら数カ月で新しい細胞がつくり出され、常に新しい組織ができあがっているのです。

このように健康な身体を維持するための細胞の更新を「新陳代謝(リモデリング)」 といいます。

そして、その細胞の中で呼吸をし、エネルギーを製造しているのが、このミトコンドリアなのです。

つまり、「ミトコンドリア」が健常であることによって、 それが花粉症などの過剰反応を和らげる唯一の方法となるのです。

全ての急性免疫病において、この定義が当てはまります。

花粉症を和らげるには、つまり、口呼吸を鼻呼吸に矯正し、ミトコンドリアの働きを活性化しておくことです。

そうすると、花粉症のシーズンも、昼間の内はいくら外に出ていても,ミトコンドリアが活発ですので、ほとんど発症しません。家に帰ってから、衣服の花粉を落として、シャワーに入り、鼻うがいと、目洗いをしておくと、副交感神経が優位になりミトコンドリアの活動も沈静化する夜も、不思議なほど症状が出ません。

花粉症のシーズンが終わったら、来年に向けて、口呼吸の練習をお勧めします。日中の運動も大事です。ミトコンドリアを健全に強くしておくことが、花粉症の症状を軽減するひとつの方法です。

食生活と花粉症

食事対策は速効で花粉症に効果があるわけではないかもしれませんが、意識的に食について考えると自然と栄養バランスがとれた規則的な食生活になり、それに伴い免疫のバランスを保つことにも繋がっていきます。食品添加物が多く含まれているインスタント食品などは極力避け、甘いもの、冷たいもの、刺激物(辛いもの、アルコール、タバコ)なども控えたほうがよいとされています。また、肉・卵・乳製品なども摂取しすぎると花粉症になる確率が高くなると言われています。免疫を活発にさせ、花粉症に効果がある食事でお勧めのものは、身体が温まるような食事です。つまり、穀類や、豆類、芋類、生姜、ハチミツなど、昔から日本人が摂取してきたような食材を主に摂取するのがいいようです。

また、お茶でも最近は多数の茶葉が出回り、気軽に珍しい植物の抽出物が摂取できるようになり、その中でも花粉のアレルギー症状を緩和するようなお茶を紹介しましょう。

●甜茶(てんちゃ)

甜茶とは中国の甘いお茶で、木の葉から作られた甘いお茶の総称だそうです。

『甜』は『舌が甘い』と書きますから、その独特の味は名前にも表れています。古くからある薬草茶のひとつである甜茶は、中国では多くの幸せを願うものとして飲用されてきたようです。効能によって植物の原料が違う甜茶の中で、花粉症に効果のある原料は、バラ科植物からできた甜茶で、抗アレルギー有効成分が含まれています。その主成分は、甜茶ポリフェノール、ルブソシド、各種アミノ酸、カリウム、カルシウム、亜鉛、鉄などのミネラルが含まれており、その代表成分甜茶ポリフェノールが、アレルギーに有効な成分です。辛いアレルギーの症状を引き起こす原因であるヒスタミンの分泌を抑制する作用と、炎症を抑える作用があります。また甜茶は、解熱や咳止め効果もあるので、風邪の諸症状を抑えるために、古くから飲まれてきました。体を温めてくれて、胃腸にも優しく、食後の消化のお手伝いもしてくれるのです。

●グァバ茶(シジュウム茶)

グァバはシジュウムの和名で、シジュウムとはハーブとしての名前です。昔から漢方薬として用いられており、薬としての名前は『蕃石榴(バンザクロ、またはバンセキリュウ)』と呼ばれています。温帯から熱帯にかけて分布し、葉も果実も乾燥してお茶として飲まれており、グァバの果実は、熟すとほんのり赤く薄い甘みがあります。葉と果実でそれぞれ含まれている成分や効能が異なります。葉の主要成分は、クエン酸、シュウ酸、乳酸、リンゴ酸、ギ酸、ビタミンA、ビタミンC、タンニン、脂肪油、精油、揮発油、樹油、ビタミンB群、インスリン様成分や芳香族化合物。果実の主要成分は、多量のカロチンやビタミンC、カリウム、カルシウム、リン、鉄分などです。グァバ茶に含まれるグァバ葉ポリフェノールという成分は、糖を分解してブドウ糖にする酵素の働きを抑制し、血糖値上昇を抑え、糖尿病の予防に効果あると言われています。同じくポリフェノールの一種であるタンニンには、体の中の活性酸素を取り除いて血液をサラサラにする効果があります。そして、グァバ茶はアレルギー反応の原因であるヒスタミンやロイコトルエンを抑える効能もありますので、花粉症などのアレルギーに対する効果があると言われています。この花粉症を抑える成分は、葉を使ったグァバ茶に比べ、実を用いた方がより花粉症に対する効果が高くなっているそうです。その他の効能としては、アレルギー性鼻炎、アレルギー性皮膚炎、疲労回復、美肌効果、口内炎、高血圧、免疫力強化、抗酸化作用があるとされています。

●シソ茶

シソの葉は漢方生薬のひとつです。シソ(蘇葉)の名は葉が紫色で、香気がさわやかで食欲がすすみ、人を蘇らせることからつけられました。シソには防腐作用があり、さしみなど料理についているシソは、食中毒や魚毒を中和するのに有効です。また、シソの葉には気分を壮快にする働きがあるため、ストレスや初期の風邪には、煎じて飲むと効果があります。入浴剤として葉を袋に入れて湯船に入れると、体が暖まり、冷え性、肩こり、神経痛、リウマチによいとされています。最近では、花粉症を防ぐハーブとしてよく利用されるようになってきました。シソの葉や種に含まれるポリフェノールが、鼻づまりの原因となるロイコトリエンや、くしゃみや鼻水、目のかゆみを引き起こすヒスタミンの生成を抑えてくれるからです。さらに、シソには、体内に入るとEPAという物質に変化するαーリノレン酸が豊富に含まれています。EPAとは、免疫系を正常にする働きや、かゆみのもとにもなる炎症物質の生成を防ぐ作用があります。これらの効果は、青ジソよりも赤ジソの方が、また葉よりも種子エキスの方が高い傾向にあるそうです。

花粉症の症状を緩和する製油

下記に花粉症の症状緩和に効果があるオイルをご紹介したいと思います。

【ユーカリ】

抗菌性が強くて、鼻とかの粘膜の炎症を抑えてくれる効果があります。ユーカリには1.8シネオールという炎症を抑えてくれる成分が多く含まれています。ユーカリは感染症の治療に使われていたという話もあるように、現在ではのど飴や軟膏などの医薬品にも含まれているようです。

【ティートリー】

強い殺菌効果があり、免疫力を刺激してくれる作用が期待できるために花粉症の対策にもなると思います。香りはすっきりしているために使いやすいですが、苦手な人もいると思いますので試してみてから使ってみることをお勧めします。

日本を始め、世界の主要国でも問題になっている花粉症。大気汚染をはじめ化学物質が蔓延している現代社会に生きていれば、免疫バランスが崩れやすくなって当然のことといえます。アレルギーの原因は「免疫系」の乱れです。外から侵入しようとしたり、身体の中で生じた「異物」から「自己」を守ろうとする防衛システムが過剰に反応し「自己」そのものを誤って攻撃することでアレルギーは起こります。花粉やハウスダストなど原因となる異物はさまざま。しかし、免疫系が「異物」と「自己」をきちんと見分けられない限り、アレルギー体質は改善されません。だからこそ、より感受性をとぎすまして自分自身の心と体のバランスを見つめるように心がけることが大切なのでしょう。疲労をためない規則正しい生活、バランスのとれた食事、体を暖める、人間の自然な鼻呼吸、免疫系の働きを良くしてくれる植物を活用するなど、薬に頼らずに自分自身の免疫力を活発にしていくことが一番の花粉症対策です。

10年以上花粉症に悩まされている人も、鼻が詰まっているときには生理食塩水での鼻洗浄をしたり、家にいるときにもマスクをして多少の口呼吸をしても暖かい湿った酸素を体内に取り入れるようにしたり、時々鼻で意識的に深呼吸をしてみたりと、鼻呼吸を意識することと、夜は番茶にすりおろした生姜をいれた生姜茶を飲んで寝たり、昼間に適度な運動を心がけたりするようにしていつも体を暖めることを心がけ、体内のミトコンドリアを活発にするよう取り組み始めました。

また、免疫改善の手助けをしてくれる身近な植物も大活躍させています。特にエキナセアブレンドティーは、ちょっと寒気がしたり倦怠感を感じたときに飲むと、本当に体に良いものが染み渡っていくような感覚がして風邪のひき初めが回復していき、冬から春にかけてのこの時期、人気の高いお茶です。

 

 

 

 

 

 

 

あきらめる

仏教では、諦めるとは、真理をあきらかにすることです。
四諦、諦観、諦念などがあります。

しかし諦めるとは、何かをしようとして、途中で諦めてしまう?

最初にしようとしたことを、途中で何かを諦めていないから、最初にしようとしたことを諦めた。

実際は諦めたように見えるが,本当は諦めていない。途中で諦めていない。

諦めるとは、明らかになること。

明らかになっていないのに、諦めるとは言えない。

明らかになるとは真理のことであり、無常のものではない。

無常のものは移り変わるので、明らかにならない。

諸行無常である。

だから何を明らかにするか?

それが問題である。

すぐに諦める子だとかよく言われる。すぐに諦めるのは良くないよと一概に子供に言う。

その子が何かを明らかにしてそれが、その子が明らかにしたことなら、その子は何かを見つけようとしたのであるから、諦めようとした行為は素晴らしいことである。

何も諦めないで諦める。

諦めないとは、条件である。ある条件下にあるから諦めた。

これは諦めていない。

条件に固執するから,やめただけである。

条件を諦めきれないからやめた。

これを諦めたという。そうではない。

諦めるとは、明らかになったことがあるから諦めたのであり、条件が諸行無常だと知れば、やめることもない。

条件に固執して、縛られる、諦めきれないからやめる。

諦めたという人は、諦めていない人でもある。

また諦めたという人は,諦めた人である。

このどちらも矛盾しながら存在する。

諦めるという言葉も、ここで空であることがはっきりするのである。

すぐに諦める子。・・・ほめ言葉になる。すぐに真理(ありのままのあたりまえ)に気づく子である。

空の中には何が入っているか?よくその色を観自在するのが良い。