外因 的 (環境的 )考察 | 大脳生理学的考察 | コンピューターとして考 えると | 研究結果 に基 づき基本方針 | |
基本理念 | バイリンガル遺伝子 | 遺伝子 (言葉 は後天的 情報 が主体 ) | 先人達 | の研究 による基本理念言語 は後天的情報 が主体 であるため、重要視 しない。 |
基本 設計 期 | 環境 | を両親 や生活地域 で提供 する。ネィティブな英語 の音楽 を聴 かせたり、英語 の文字 を見 せたり、ネィティブの場合 は話 しかけたり。生後6ヶ月くらいまで、幸 せにいきるための無意識 の理念 を保有 した右脳 (先祖脳 )に基 づき(幸 せにいきるための情報 を集 める)一生集 めます。 | 基本理念に基 | づき、OS開発 のための設計図作成 。研究 はいつまでも続 け、引 き継 いでいく。重要/言葉よりも五感を求めるが、幸せな感覚の時に聞こえるものや見えるものが英語であるとそれを情報として蓄積する。 |
基本 開発 期 | 環境提供 | と、*環境法 に基 づき、幼児 の自発的開発 に参加 しながら、バイリンガル機能 を開発 期 に右脳 に組 み込 む2・3歳 くらいまで、幸 せにいきるための行動 を右 脳 に基 づき起 こしてみることで、右脳 を開発 する | 設計図 | に基 づき、テストを繰 り返 し、OSを開発 する。OSにバイリンガル機能 を基本 機能 として組 み込 む最重要(右脳にバイリンガル機能がないと言うことは、OSがバイリンガル仕様ではないと言うことと同じ) |
基本 | 完成期遊 | ぶ、食 べる、寝 るという基本重要 機能 を高 めていく活動 に英語 が必要 であるように組 み込 んでいく。5・6歳 くらいまで、幸 せにいきるための行動 の中 から、重要 なものを選択 し、その機能 を高 める。すなわち、遊 ぶ、食 べる、寝 るである | OSの基本機能 | がほぼ出来 たので、その中 でも重要 な部分 の機能 を高 めていく。必要(より高度なバイリンガル機能を右脳に持たせる。この時期が基本的右脳の |
個性 化 | これから始 | める場合 は、すでに、基本的 な部分 として英語 はないので、繰 り返 し英語環境提供 されることは基本的 に苦痛 である、苦痛 であっても最初 はなれるまで繰 り返 し、楽 しいと思 えるようになったらまずまず成功 であるが、失敗 すると、一生苦痛 としての残 るなどの危険性 がある。すでに英語 を基本 としている場合 は、個性化 のため様々な英語学校 に通 うのも苦痛 なく、自分 のものに出来 る。8から10歳 くらいまで、自分 に最 も適 し、高 めた選択肢 を使 って行動 し、機能 を自分に使 いやすくする | OSのパーソナライズである。様々 | な設定 を自分 に使 いやすいように設定 する。この時期 に新 しいソフトとして英語機能 を使 うには、OSに英語機能 を加 えることになるが、すでにできあがったOSに英語機能 を付加 することは容易 ではない。この時期 から英会話 を始 めると今後 は反復練習 により、強制的 に右脳 に対 し、英語 が必要 であることの情報 を与 え続 ける必要 があるが、右脳 は楽 しいこと幸 せにいきることが基本 であるので、楽 しくないとそれを受 け付 けない。しかし、すでに右脳基本部分 は完成 しており、その基本 に英語 がない場合 は苦痛 であるので、様々 な方法 で英語 を楽 しくさえることを苦労 する |
活用期 | これから始 | める場合 は、英語 に違和感 を感 じることになる。その違和感 だけの環境 が必要 で、大 きな苦痛 が伴 う。その苦痛 を打破 しても英会話力 を得 る意思力画筆余 である。又 個性化 の時期 にブランクが会 っても、成人 になると個性化 の訓練 を英会話学校 などで行 うだけで、違和感無 く、自然 に英会話 に取 り組 め、短期間 で楽 しく英会話 が身 に付く。 個性化時期 より続 けている人 は言 うまでもない。成人 、高 めた機能 で、高度 な行動 を様々 な情報 に基 づき行 うことが出来 る。 | ジョブの実行期 | である。自分 のやりたいことに、様々 なソフトを使用 し、そのソフトではいつでも英語機能 を使用 することが出来 る。英語機能 がない場合 は、ジョブの実行 の時 に急 に英語 が必要 でも使用 できない。OSから変 えなければならないことになる。この時期 から始 めると、すでに右脳 は個性化 まで終了 しているため、英会話 に対 して、大 きな違和感 を感 じる。これ以上 に活用期以前 に学校教育 などで英会話 に苦痛 を感 じた場合 は、より違和感 やアレルギーが強 くなる。どちらにしても楽 しくないと英会話 は身 に付 かないので、情報 として左脳 に蓄積 した知識 で英会話 を駆使 し、慣 れて使用 する環境 が有 れば、右脳 が楽 しいものとして新 しく受 け入 れることが出来 るが、相当 な努力 が必要 である。 |
やくみつる氏 VS 史郎氏
古い話ですが、やくみつる氏 VS 史郎氏のテレビバトル(スーパーモーニング)です。
http://www.youtube.com/watch?v=IFO7ybH2_fc
あのテレビ討論を見て、やくみつる氏は、亀田史郎氏(以下、単に「史郎氏」といいます。)と世間の親たちに、子供たちの純粋で自然な成長について考えてほしいという情熱を、何よりも強く持っていると感じました。
テレビ討論は中途半端な状況で終わりましたが、やくみつる氏は、この熱が冷める前に、明確に史郎氏の化けの皮をはがすことをあきらめていないはずです。
最も大切なことは、是非を論じるのではなく、誰もが自分のスタイルや価値観について考えてみることです。その考えることから逃げたり、自分の欲求を満足する為、また保身の為に、人の指摘や非難に対し脅したり圧力を加え弾圧しようとすることに対しては、立ち向かわなくてはなりません。親が、子供たちの愛情を利用し保護欲求を脅かすことで、自己の欲求や都合を満足させたり、自己顕示欲にかられて強迫観念から逃れたりしているのです。このようなことは、多くの家庭の中でも現在繰り広げられているのです。
この史郎氏も、あのホリエモンの父も同じ構図です。このように、子供たちの心は偏り壊れ、抑圧された中で、自然で自由な成長を妨げられ大人になっていくのです。
今、多くの子供たちは、親に対する愛情と、親への保護欲求を利用され、親たちの欲求不満の解消や自己顕示欲の満足の為、また、強迫観念から逃れる為の道具として扱われています。そのような中で、社会問題とも言える子供たちの心の問題が深刻化しています。
このような状況の中、ホリエモンとその父親の関係も同じでしたが、今回の史郎氏のように、自分の息子を単に自分の自己顕示欲などの欲求不満を満足させる為のえさ、そして、強迫観念という不安から逃げる為の道具として利用しているスタイルが正当化され、そのような親たちに免罪符を与えようとしていることに、私たちは大きな危険性を感じていました。
私は、やくみつる氏と史郎氏のテレビ討論を見た時、息子たちの純粋な心を食い物にしている史郎氏が、息子たちを利用して当たり前のように、世間に対しこれが俺たちのスタイルだと言ってマスコミに登場し、多くの日本中の親たちに、このようなスタイルがいかにも正当性があり立派な行為であるとアピールしていることに対して、やくみつる氏は、世間がとんでもない錯覚を起こす危険性があることに危機感を覚え、持ち前の情熱から、とてつもない勇気を持って果敢に阻止しようと、その父の本性を暴こうとして、あのような行動をしたものだと思いました。
やくみつる氏の突飛な行動は、史郎氏の本性を発露させるには十分な試みだったのですが、惜しくも、ガッツ石松氏はそのやくみつる氏の心情を知ること無く、むしろ父に失礼であるということでその行為を否定したため、やくみつる氏も十分な反論ができず、結果的に史郎氏の歪んだ欲望や不安の全てを暴露するには中途半端な内容に終わってしまいました。
それどころか、逆にやく氏の方が史郎氏からとんでもない説教をされるはめになってしまったのです。
史郎氏は、自分の満たされなかった欲求を満たす為に、幼き息子たちの心を餌食にしてふくれあがった怪物と言っても良いでしょう。生まれた子供は両親を無条件に愛すのです。そして保護欲求という本能のもとに、親に従います。それを知ってか知らずか、史郎氏は、自己の欲求と保身の為に子供をコントロールし、自らの心を安定させるのです。子供が自分の意に添わない行為をした時は、子供の愛と生存本能を利用して、力の強い大人の恐怖を巧みに組み合わせて操作します。もちろん意図的ではないかもしれませんが、多くの親たちもそうであるのが今の世の中の現状です。誰かが史郎氏の本性を引き出し、彼自身に知らせる必要があります。
社会に影響力の強いマスコミでの露出では、システムが健康な状態であれば、俗にいう「ホメオスタシス」(恒常性維持機能)が働きます。
今、四権分立と言われている中の一つであるマスコミは、最も大切な意識調整機関であり、社会のホメオスタシスです。大衆の欲求は自然な自己調整機能です。
やく氏と史郎氏の討論に大衆は大いに注目していました。ここで、やく氏はマスコミの一員としてその役割を、意識ではなく情熱を持って担うものと信じています。