健康寿命を延ばす本当の要因

健康で長生きする。全ての人が追い求める願いです。中には、それに気付かず強がっている人もいますが、本質的にはそう願うのが人間です。
素直に真っ直ぐに生きていれば、幸福の基準はそこになります。
菜食主義やマクロビクス、ヨガや太極拳、様々な健康食、健康運動、数を上げるときりがありません。それらは全て、表層の皮をなめしているに過ぎません。この記事にあるように、全てはその土台にかかっています。
土台とは何かですが、中国の内丹思想などではあたりまえの「還虚」という「何にも囚われない、ありのままの、あたりまえの、素の虚が土台です。
その土台の状態は、般若心経などで「空」と表現され、性質は「無」です。
その土台が人間の生命維持に働きかける時に、「先天の精」と呼ばれる生命維持が働きます。
その生命維持と適度な運動や禁酒禁煙などの後天的な「後天の精」が融合して、健康な心身を造り上げます。
その虚無を土台にしているとき、人間の精神は後天的な環境に左右されません。
したがって、長寿で健康な人は、この記事にあるような生き方になるのです。
この記事は両極端な説明で、片方だけに偏ると「偏重の病」に犯され、心身の健康もままなりません。
また、両極に拘りすぎると「双重の病」となり同じことになります。
すなわち、どちらもベターであり、その間には混沌とした両極が混在した状態があることを受け入れ、かつ、その両極を保つことにあります。これを太極の状態といいます。
そのような生き方を太極思想(タオ)は教えているのです。
その太極思想を帯びた内丹術は特に「内丹仙術」と呼ばれ、老子のような活き活きとした、色欲豊かな仙人を目指すメソッドとなっているのです。

70代でも 80代でもまだまだ超元気! みたいな人って、

・野菜中心のバランスの良い食事を

・よく噛んで、長い時間かけて食べ、

・毎日 10000歩は歩くなど、適度に運動し、

・酒もタバコもやらず

・規則正しい生活リズムで、

・ストレスの少ない生活を、

おくってきました。

って感じに見えます??

とてもそーは思えないんだよね・・・。てか、あんだけ世界中飛び回ってたら、時差だけで「規則正しい生活」なんてできないし、ご飯だって「かっこみ系」の食べ方を余儀なくされるはず。

寧ろ彼らの共通点を挙げてみれば、

・大組織や、誰かの下で何十年も働く、という働き方をしていない

・通勤電車に毎日乗ったりもしてない

・好きなことを仕事にしてる

・周りと自分が違っても、全く気にせず、

・常に何かに向けて、お目々キラキラ、心ワクワク状態

・空気なんか全く読まず、言いたいことを遠慮無く口に出し、

・常に動き回ってるし、

・常に考えてる(思考停止になってない)

・結果として、いくつになっても「守り」に入らず(←老化の源)、好奇心を忘れず、「攻め」の姿勢で暮らしてる

って感じじゃない?

引用元: 健康寿命を延ばす本当の要因.

【筋再生】愛があれば筋肉は衰えない | Nature Communications | Nature Publishing Group

愛と言っても多くの概念がありますが、下記のような効果がある愛は限られています。
完全であり、純粋であり、どのような条件下にも左右されない受容の心は、愛という言葉でひとくくりにされた内の、ほんのひとつです。太極思想における内丹術などには、その愛に到達するための導引や行気、そして実践的な房中術など、経験と実証にもとづき深く研究されてきました。
このような愛の状態になると、人間の心身は多くの変化を起こします。仙人として有名な《老子》はタオの創始者として、このような愛に到達し、導引と行気、そして房中術の達人として伝説に残っています。
先人達は、今回論文で発表されたような現象を体験して、それを経験し実証して、その成果を後に残してきました。
感受性豊かな心身の基板を作る《築基》の修行から始まり、完全なる愛に向かい修行を進めていくのです。
《還虚》に到達した心身はその愛に溢れています。古式においての太極拳が《易筋行》として行われるのも、太極拳が導引法であり、その到達した精神に気を練って導いていくのが行気であり、そしてそこにある愛を基盤にして愛し合うことが房中術なのです。
そうすると、筋肉だけで無く、骨も衰えず、気も高まり、精はみなぎり、内丹を極めることができることは、タオでは当たり前であり、今回の論文もそれらのほんの一部を現代科学で証明したに過ぎません。しかし、多くの事が現在科学で証明されていく昨今、人間の潜在能力は古代から何も変わらず生き続けていることを明らかにし、又、逆に、多くの感受能力を失っている現代人よりも、本来の人間の潜在能力を豊かに使える古代の人間の経験学的証明は多種多様に展開されてきたということもわかります。
これらの愛を思い出すことこそ、私たちは人生を豊かに、健康に、決して壊れることの無い幸福の中で生き抜いていくための、たった一つの方法なのです。

【筋再生】愛があれば筋肉は衰えないブックマーク

Nature Communications

2014年6月11日

Muscle regeneration: All you need is love

オキシトシンというホルモンは、しばしば「愛のホルモン」と呼ばれるが、老化に伴う筋機能の低下を防ぐ作用もあることがマウスの研究で明らかになった。これがヒトでも確認されれば、骨格筋の老化を予防し、あるいは元に戻すための新しい治療法が得られるかもしれない。この研究結果を報告する論文が、今週掲載される。

引用元: 【筋再生】愛があれば筋肉は衰えない | Nature Communications | Nature Publishing Group.

創造力の芽を摘む「自己不信」を克服する10のヒント : ライフハッカー[日本版]

自己不信は根が深い。自分の表層だけを信用しても、深くから不信がこみ上げてくる。深くの自分を信用できれば簡単である。表層はその上に立つ。しかし、深くの自分を信用するためには、深くの自分を思い出さないといけない。それが問題だ。しかし、深くに本当の自分が居るのである。しっかりと座っている。

作家のシルヴィア・プラス(Sylvia Plath)氏は、「創造力の最大の敵は自己不信だ」と日記に書きました。

なんと的確な指摘でしょう。自己不信によって、私たちは自ら創造することをやめ、作品を世に送り出すことを諦めてしまいます。自分の力を正しく認識することができなくなり、ペンや絵筆、カメラなどから何十年も遠ざかってしまいまうのです。

引用元: 創造力の芽を摘む「自己不信」を克服する10のヒント : ライフハッカー[日本版].

芸能人やスポーツ選手は「早死に」の傾向、豪研究者が発表ロイター – エキサイトニュース

このような研究は、古代のインドや中国でも盛んに行われ、経験実証と統計学により以下と同じような結果を得ている。
これだけに終わらず、その理由を長い年月を掛けて現在まで、多くの先人達が探り、実験を繰り返して、最大公約数の結論を導き出している。
それらは、現在の脳科学や、心理学、生理学などあらゆる検証結果に符合しているに過ぎない。
それは分かった。それでは、なぜか?それが重要である。しかし、それらは全てもう分かっている。それが歴史の重みである。

芸能人やスポーツ選手は「早死に」の傾向、豪研究者が発表 [ロンドン 18日 ロイター] 芸能界やスポーツ界で活躍した人は早死にする傾向にある──。オーストラリアの研究者が18日、医学誌「国際医学ジャーナル」でこんな研究結果を発表した。シドニーのセント・ビンセント病院のがんセンター長を務めるリチャード・エプスタイン氏らは、2009─11年の間に米紙ニューヨーク・タイムズに掲載された約1000件の訃報を調べ、職業と寿命などの関係を調べた。それによると、役者とスポーツ選手の平均死亡年齢は77.2歳で、クリエーティブ職の78.5歳、専門・学術職の81.7歳、軍事・政治関連職の83歳に比べて短いことが分かったという。研究者らはこの結果から、役者やスポーツ選手らが自分の目標を達成するため、または成功した結果、他の職業よりも多くのリスクを取っている可能性があると分析した。同研究は「成果主義の職業における名声や功績は、より短い余命という代償によって得られるのかもしれない」としている。

引用元: 芸能人やスポーツ選手は「早死に」の傾向、豪研究者が発表ロイター – エキサイトニュース.

先進国の子ども幸福度、オランダがトップ=ユニセフ(ロイター) – エキサイトニュース

オランダでは、子どもの物質的豊かさが最も高かった」物質的な豊かさは客観的に見ると日本やアメリカの方が高い。ただ、子どもによる主観的評価が高い。
価値基準のしきい値が高いのである。なぜ、高いか、それは色々な要因がある。
ある一定の事柄に、満足感や豊かさを感じるかということだが、オランダの子どもが100と答えれば、その他の国はそれ以下であるということである。同じものをみても所有しても、満足感や、幸福感が違う。
ただ花を見ていても、喜べるのと、それに喜びを感じるのも違ってくる。これが主観的評価である。
オランダに関しては、以前に移住を真剣に考えたので、オランダの人文をテーマにして深く研究した。
ここに、ウィキペディアからオランダの文化の文化を抜粋する。
「大麻の所持・使用(「コーヒーショップ」と呼ばれる限られた店でのみ購入が認められている)、積極的安楽死がいくつかの欧州諸国とともに合法化されている。もっとも、大麻も合法というよりは、許容されているといった方が正確であり、現バルケネンデ政権は一部見直しも検討しているとされる。また安楽死についても依然として見直しの議論が続いている。
1991年には刑法が改正され、16歳以上でポルノ出演、性行為が適法とされ、互いの同意があれば12歳以上でも性行為は適法となった[要出典]。国の許可を得れば管理売春も合法である(「飾り窓」と呼ばれる限られた地区でのみ合法的な売春が認められている)[要出典]。売春を国の管理の下で合法化したことで、衛生状態の向上が図られ、性感染症感染率が低下し、また税収増加、売春に従事する女性達の保護の充実などが実現し、国内では評価する声が高い[要出典]。
このようなことから、世界有数の性の解放区として知られているものの、性犯罪をすれば容赦なく逮捕されることには他国となんら変わりがない。またこれらの行為に関わることはそれなりにリスクも大きいので、自由な一方で自己責任で行動しなくてはならない国だとも言える。
性役割は、1970年代は「男は仕事、女は家庭」だったが、その後変化し女性も労働市場に参加するようになっている[17]。なおオランダでは異性同士の場合と同じように同性同士の結婚が認められている。」
オランダの子ども達の幸福度の原因は、その子ども達の重要な環境である両親の心に掛かっていることは間違いない。その親たちは、もちろんほとんどが、大麻の世界を経験している。大麻の世界を見た世界中の人間達の心は、どのように変化したか。重要な研究課題でもあり、絶えず研究対象である。そこに絶対的幸福感のヒントの一つがある。大麻は日本では違法で有る。アルコールは合法である。日本の深部に流れる、誰かの意図がこの世界を作っている。私たちはそこに生きている。自殺大国。経済大国。である。

[ロンドン 10日 ロイター] 国連児童基金(ユニセフ)が発表した先進国の子どもの幸福度ランキングで、29カ国中のトップはオランダとなった。最下位はルーマニアだった。

ランキングでは、子どもの物質的豊かさ、健康と安全、教育、日常生活上のリスク、住居と環境を評価。データの大半は2010年時点のものだという。

オランダと上位5位を占めたのは、ノルウェー、アイスランド、フィンランド、スウェーデンの北欧4カ国。英国は16位、米国は26位だった。同ランキングは欧米先進国を対象としており、日本は含まれていない。

オランダでは、子どもの物質的豊かさが最も高かったほか、家庭の豊かさが低いと回答した子どもの割合も低かった。また、子どもによる主観的評価も高く、全体の95%が自身の幸福度は高いと回答した。

引用元: 先進国の子ども幸福度、オランダがトップ=ユニセフ(ロイター) – エキサイトニュース.

セルフエスティームを効果的に高める

人生を安全に生き抜くために必要とされている理論があります。

アメリカなどでは護身術の基本的最重要課題としてカリキュラムが組まれていて、常識になっています。

セルフエスティーム(自尊心)とバウンダリー(識別)能力を高めるということです。

これについて詳しくは、こちらで説明があります。

そこで、武道修行以外でも、これらを高める効果的な手段があるのかというご質問に対してお答えします。真の武道もとても近道ですが、それなりの、時間がかかるのも確かです。

そこで、手っ取り早い方法は、1ヶ月くらい人と会うことの無い、厳しいジャングルの中を何も持たずさまようことです。

セルフエスティームやバウンダリーは極限まで高まります。

ビジョンクエストですね。死ぬか生きるかの境地です。

しかしそれは現実離れしているので、まず、セルフエスティームをゆっくりと高めていくほうがいいとおもいます。

それは絶えず、その道を歩んでいかないとまた振り出しに戻ります。

山の中を1ヶ月死ぬかも知れない旅を続けるか、日常で自分の心の中に同じ状況を作って旅を続けるかですが、後者はいかに自らの心的境地の中を歩き続けることができるかがまず課題です。

瞑想などはまさにそうですが、短い時間しかできません。瞑想をして日常を過ごしながら、恐ろしい現実と向き合ってこそ意味があるので、瞑想はその境地を体験するだけになってしまいます。

大切なのは、日常でずっとその境地にいてこそ、セルフエスティームは高まります。日常で、何かと出くわしてその境地から出ると言うことは、ビジョンクエストで狼と出会って恐くなって、山里の街に下りてくるのと同じです。

ですからまた最初からの振り出しです。

その前にその境地はどこなのかと言うことですから、その境地を得るには武道だけでは無く、自分の内を知り尽くしていかないといけません。経験と理論の整合が最も有効です。

経験は武道や日常。理論は唯識論など、自らの内を知ることができる智慧です。

ですから、ビジョンクエストでも、それなりの知恵が備わった青年にしか許されません。

智慧は長老の見識と触れて備わります。現実では、その見識は唯識論などの心理探求ができる合理的な見識に触れることです。

合理的な見識が大切なのです。

ですから、有効にと言うことであれば、まず唯識論または心理学の総合学問(これは大学から行き直しくらい、「総合的」な心理学を学ばないと、それでも十分ではないほどだと思います。ですから心理学では難しい。)を身につけてそれを完全に理解することです。

そして、自分の日常とその理論が整合する境地にいつもいて、この社会を生き抜いていくことができれば1ヶ月ほどで相当に高まります。唯識論の智慧を身につけただけでは、現実と智慧の差異が生まれ逆に心や精神を病むこともあるので、それらを身につけたなら、現実の自分の人生に完全に生かすことが最も大切です。

これらは、私ももう25年もライフワークとして取り組んでいる活動です。

まず、真理すなわち絶対性(何があっても相対するものが無い)に対する智慧を得てから、ビジョンクエストをするのが最も手っ取り早い効果的です。

そういう意味ではビジョンクエストは最高の方法まで到達したとも言えます。

それと同じように、智慧を得て、日常で境地から出ることが無く、多くの経験をする。

山の中よりも、実生活の中で恐ろしい魑魅魍魎と出くわしても、山里へ逃げない世界を生き抜く。完全に出ることが無いのなら、1ヶ月で良いと思います。お寺にこもるなどはだめです。何の生死問題もありません。しかし、仏門に入るのならそれも良いと思います。しかし、それ以外の日常生活を生きていくつもりなら、意味がありません。

まず、それで、この世界を完全に生き抜くことです。これができれば、ビジョンクエストと何ら変わらない効果で、セルフエスティーム(自尊心)とバウンダリー(識別)能力は一挙に高まります。しかし、相当厳しい世界です。多くのものを失うかも知れません。

難しいのは目の前にいつでも逃げ場がある現実社会では、その逃げ場があるという認識から始めないといけません。逃げ場を認識していないと、ついそこに行っては、逃げていないと思うからです。ここからの認識が必要です。

逃げるとは、山から下りる?それなら一からやり直しです。みんないくら瞑想をやっても、同じことです。

それがわかり、またそれをちゃんと傍から指導できる人がいれば、簡単に効果的に高まります。

もしくは、一度本当に死の恐怖の中で死んでみることです。これだけは、「ごつん」と一挙にセルフエスティームとバウンダリーが高まるはずです。これが一番効果的です。生き返る保証はほぼありませんが。

あきらめる

仏教では、諦めるとは、真理をあきらかにすることです。
四諦、諦観、諦念などがあります。

しかし諦めるとは、何かをしようとして、途中で諦めてしまう?

最初にしようとしたことを、途中で何かを諦めていないから、最初にしようとしたことを諦めた。

実際は諦めたように見えるが,本当は諦めていない。途中で諦めていない。

諦めるとは、明らかになること。

明らかになっていないのに、諦めるとは言えない。

明らかになるとは真理のことであり、無常のものではない。

無常のものは移り変わるので、明らかにならない。

諸行無常である。

だから何を明らかにするか?

それが問題である。

すぐに諦める子だとかよく言われる。すぐに諦めるのは良くないよと一概に子供に言う。

その子が何かを明らかにしてそれが、その子が明らかにしたことなら、その子は何かを見つけようとしたのであるから、諦めようとした行為は素晴らしいことである。

何も諦めないで諦める。

諦めないとは、条件である。ある条件下にあるから諦めた。

これは諦めていない。

条件に固執するから,やめただけである。

条件を諦めきれないからやめた。

これを諦めたという。そうではない。

諦めるとは、明らかになったことがあるから諦めたのであり、条件が諸行無常だと知れば、やめることもない。

条件に固執して、縛られる、諦めきれないからやめる。

諦めたという人は、諦めていない人でもある。

また諦めたという人は,諦めた人である。

このどちらも矛盾しながら存在する。

諦めるという言葉も、ここで空であることがはっきりするのである。

すぐに諦める子。・・・ほめ言葉になる。すぐに真理(ありのままのあたりまえ)に気づく子である。

空の中には何が入っているか?よくその色を観自在するのが良い。

えらい科学者だから信じる?

 愛読している武田邦彦先生の記事で、最近「知の侮辱(12) 足し算のできない東大教授」を読みました。音声も付いているので、いつもその場合は音声を聞きます。
私は幼い頃から、母親の違和感に対する強烈な追求と、またそれにより周囲の人たちが浄化され、愛らしい姿に変化していく姿に感じ入っていた心が、今も自分の中に脈々と流れていることがわかります。

そういう意味で、私は武田先生の記事を愛読しています。その中で特にこの記事は的を得ていると感じたのでご紹介したいと思いました。是非上記リンクをお読み(お聞き)ください。

太極拳の套路の心意は、違和感を感じ取る陰の性質を持つ感性と、その違和感の源を深く探る陽の性質を持つ観性の和合によって成り立っている側面もあります。

このように、套路において,違和感を感じ、その源を探していく心意が研ぎ澄まされ、太極拳の套路に違和感がなくなり完成していきます。

違和案を感じる感性と、その源を探ろうとする自然な営みは、人間が健康に楽しく生きる上で当たり前のことです。

以上の武田先生の記事を見て、表層の肩書や権威に目くらましをされ、自らの感性を無視し、当然違和感を無視し、ただえらい科学者だから、NHKだからという風に信じてしまうように、今の世の中のシステムは巧妙に造り上げられていると言うことを知る方が良いでしょう。

その巧妙さにやられてしまわないためにも、無為自然というスタンスを失わないことです。

人間の感性と観性は自然に備わっているものです。それが有為によって動かなくなります。

科学者達の言葉や研究成果の違和感の源を探ると、すぐに答えが見えます。慣れてくると、普遍的なキーワードで情報を集めることができるようになるので、違和感の源がはっきりとしてきます。

情報の全体像を観るためには、例えば、医療的なことであれば、The New England Journal of Medicine (NEJM)などの論文を読むと良いでしょう。簡易日本語版もあります。

その他各分野には世界中のネット検索をすれば、確かな情報が多く掲載されています。日本の核汚染の問題もです。一日もあれば、誰の言っていることが本当かはだいたい自分なりで判断でき、またその学者の傾向も見えますから、その傾向のキーワードでくくれば、その学者の言っていることの真偽は簡単にわかります。

全体的に信用できる学者かそうでないかは見えてきます。

だからといって闇雲に信用したりしないのではなく、同じ人間であるのですから、信用できないというのは傾向だけであって、信用できる部分があるかも知れないというスタンスも必要です。

ただ何かのために言っていると言うことが見えたなら、それはその人のその傾向により、その人なりに情報が変化しているとみるべきでしょう。それで調べてみるということになります。

 このように、套路のような大河が流れるような中でのよどみを,自らの人生の一部として受け入れて、その源をも受け入れて、浄化して生きていくのも、時間という流れが人生を司るものである人間が,健康で楽しく生き抜くことの根幹であると私は思います。

ボランティア活動の人が、自分の強迫観念による不安を補うために、被災地の人の気持ちが分かると言って偽善活動をする場合もあります。

本来、ボランティアの人が人の気持ちを理解できるのは、人間の本質である無条件の愛のなせる受容の行為です。それが慈善活動です。

例えば自分は弱い人を助けるというのが正しいと思っているから、助けられたあなたは正しい行為を受けていると思うでしょ?と言う押し売りの同情ではありません。

それは、私たちは正しい行為をしていますという気持ちを、相手が不在の認識で無理矢理押しつけ自分の不安をいやしているに過ぎないのです。

体に障害がある人も、その人の道はその人の歩む道です。ほかの人が望む道でも、与える道でもありません。ボランティアの人が道を選ぶのもその道です。その人だけのものです。ボランティアの人はボランティアの人の道のために選択しているのです。忘れてはなりません。

自分が正しいことをしているという気持ちは自分だけのものです。ボランティアを受ける人が同じ気持ちであなたを見ているか見ていないかは関係有りません。受ける人はそれぞれの道を歩んでいます。

私たちは自分の道が全てであり、それを押しつけようとしている人の姿を予言できます。必ず本来の人間の姿とはほど遠い、条件付けられた機械のような姿を、偽善で取り繕った姿の中から現すと、接した最初でわかります。

それを見て、私たちが言いたいのはその様な人が選択したような選択をしないということです。

人間の道というのは、人間を含む森羅万象の全存在の目的地が同じで、瞬間瞬間にそこに行く道順を選択しているだけなのです。行く道を。

目的地はわかっているけど、これからの道はだれも自分でもわからないのに、また、どんな岐路が待ち受けているかわからないのに、人の道がわかるはずがありません。

私たちたちはいろいろな道を、その時の自分の本来の姿に照らし合わせて選択するだけです。

自分の本質に従った選択をするだけです。どんな岐路が待ち受けているかわからないのに、道はわかりません。選択の基準ははっきりわかっているだけなのです。

逆に決めた道を行くと拘ってしまうと、創造や再創造はできなくなってしまいます。

全ての道は祝福に満ちてます。その全てが運命です。

人の道をいとも簡単に、不安の観念で単なる自分の得のために無慈悲に犯してしまった場合は、少しは自分を見つめてみましょう。自分の姿を見てみましょう。その人の道も祝福されるはずです。

自分の観念で、その人の道の尊厳を簡単に自分と同じような条件付きの世界に置き換えてしまっているのです。

人を自分の不安逃れのために自分と同じように被害者にしてさげすむ事になるのです。