無為自然。
してはいけないとこともないし、してはいけないこともないこともない。
無は有でないから無というなら、無は有でないという性質を帯びているから有である。
何もないという無を認識するには、有るという認識が必要である。有ることがないと言うことで無になる。いつまでたっても無は無にならない。
もし完全なる無が理解できれば、無為自然は理解できる。
内家拳には無極という思想がある。これはとても使える、フィードバック。
私には完全なる無という概念がある。理論と言ってもいい。
あるキリスト教の勉強会に参加した。
私は、キリスト教徒ではないが、いつものとおり思ったことを口にした。
無は神が作ったという言葉に対して、無とはなんですかとの問い。
無は無だとの答えであった。
無は無であるという時点で、無という概念で停止します。
無は相対性を帯びます。無を意識を持って説明すると、有があるから無があると言うことです。
絶対的な無は存在します。絶対性が身につくと、そこを基点にして存在できます。
これが、分かると、あらゆる事が無為自然になり、あらゆる不安が無くなり、毎日が楽しくて仕方が無くなり、いつ死んでも悔いが無くなり、思ったことが思ったとおりになり、健康も若さも「正常」な人間の年齢や寿命どおりになります。
無為自然。とても簡単で、単純です。
瞑想太極拳や、執筆活動、社会活動を通じて多くの人に無為自然への誘いをしていきたいと考えています。